アナログという選択肢

 今年が始まって、もう9日が経ちました。早いです。この日記を書いている間にも時間はどんどん進んでます。なんかどうしようって感じです。やりたい事があっても、こんなに時間が早く過ぎてしまったら何にもできないですよね。

 そんなKUJIRAは今年から日記を書き始めました。日記と言ってもブログの日記じゃないですよ(笑)日記帳に手書きのあの日記です。博文館の中型当用日記を書店で購入し1月1日から書いています。何乙女ちっくな事やってんだよと笑う人も多いと思いますが、日記もバカに出来ません。手帳が未来の予定を記録するものならば、日記は現在から過去を記録するものだからです。手帳で自分の行動の整理と、方向性を見定め、日記で自分を見つめなおす。情報が溢れ目まぐるしく変わり、色々な物がデジタルになっている時代だからこそアナログに価値があるのです。

 アナログの価値と単に言いましたが、それではどの様なところに価値があるのでしょう?皆さんも考えてみてください。KUJIRAは時間が掛かる事がアナログの価値だと思います。先程も言いましたが今の社会は情報が溢れ出し、飽和状態になっています。インターネットが普及し、常にネットワークで繋がれたこの膨大且つ、変化の激しい情報の塊は、一種の巨大なデータベースと化し、今も尚、情報の蓄積、もしくは更新が行われているのです。そのスピードは1時間前に出た情報が、既に古くなり使えなくなる程で、こんな物を追っていたら、いくら取得する情報のジャンルを絞っていても追いつきません。追いつけないだけなら、まだマシだと思います。一番最悪なのは、情報を追い求めすぎて自分を失う事です。これほど恐ろしい事はありません。

 そんな、何でもインスタントにできる時代に自分をゆっくりと見つめられるでしょうか?答えはNOです。一度こういうのに触れてしまうと、人間そこから抜け出すのは容易ではありません。現に自分も1週間ぐらい宮崎に居た事がありました。宮崎は情報と言うものが余り無く、時間がのんびりと過ぎていきます。この状況下でKUJIRAは3日ともたず生活に不安を感じました。携帯電話もそうです。ほんの10数年前まではそんなの無くでも普通に生活できていたのに、今では30分と放置できません。時計もそうです。要するに知識欲と言う言葉がある様に、知る事への快楽が我々を中毒にしているのです。それは例えるなら情報と言う巨大な水槽の中に飼われた魚と同じでしょう。情報と言う水が無ければ生きていけないし、水槽の中で必死に泳がされている。そう考えると何とも皮肉な事だと思います。

 まぁ、そういう事で日記をつける事にしたのですが、コレが面白い。普段、言えない様な事も誰が見る訳でもないので書きたい放題です(笑)。これはある種のストレス発散になると思います。しかも、そんなに肩肘張らないで書いているのに、いや、むしろ肩肘張って書いていないからかもしれませんが、心境が旨く出ていると思います。手書きだから字にも表情があるし1年終わって読み返すのが楽しみです。ちゃんと毎日つけよう。そう思ったKUJIRAでした。